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2 Timothy – Letter of Legacy

22 July, 2018

Paul’s second letter to Timothy is a deeply personal one. We could consider it the last will and testament of the apostle Paul. Languishing in prison near the end of his life, Paul writes to his beloved son [Timothy] in the faith to instruct, share and encourage him and the church.
パウロの二番目の手紙は、テモテへの個人的な手紙になっています。私たちはそれを使徒パウロの最後の意思と証言と考えることができます。牢獄で暮らしていたパウロは彼の人生の終わりに近づくにつれて、信仰を持って、彼の最愛の息子、テモテと教会に宛てて、教え、分かち合い、励ますために手紙を書きました。

But there’s another reason that Paul was writing to Timothy, perhaps, his main reason for writing this letter: he was lonely. Near the end of his life, alone in prison, he felt lonely.
しかし、パウロがテモテに手紙を書いていたもう一つの理由があります。おそらく彼がこの手紙を書いた主な理由だと思われます。パウロは孤独だったのです。牢屋でたった一人で人生の終わりを迎えていた彼は、孤独を感じていました。

2 Timothy is a letter of legacy. Paul shares his own legacy with us, as well as the legacy of others. And he encourages us to consider the legacy that we are creating and will one day leave behind for our families, our communities, and our church.
テモテの手紙第二は語り継ぐために書かれた手紙です。パウロは、自分の遺言を伝えているだけでなく、他の人々の遺言も私たちに教えてくれています。そして、パウロ、は私たちが今、作り出しているものは、私たちの家族、地域社会、そして教会のために伝え残してゆくのだと奨励しています。

In four brief chapters, Paul mentions 23 people by name – some friends, some foes – and this morning I would like to study this pastoral letter with you by looking at the legacy left by 7 of these 23 people.
四つの章では、パウロは23人の名前を挙げています。友人や敵となった人たちの名前です。今朝は、この23人のうち、よく言い伝えられている7人のお話をしたいと思います。

  1. Timothy
    テモテ

最初はテモテについてお話しします。

Timothy was many things. He was a worker, a preacher, a church planter. He was also a bringer of joy. It says in Hebrews 13:7 that one of our roles as Christians in a church family is to make the work of our leaders a joy. I can testify to how important and valuable that is! I really want to thank you for making my work as a pastor such a joy.
テモテはいろんな仕事をやってきた人でした。彼は労働者であり、説教者であり、教会の設立者でもありました。彼はまた喜びをもたらす人でもありました。ヘブル人への手紙第13章7節では、教会という家族の中で、キリスト教徒としての私たちの役割の一つは、私たちの指導者に、仕事を楽しみと感じさせることです。私は、そのことがいかに重要で価値があるか知っています!そんな喜びを、牧師である私に感じさせてくださった教会のみなさん、本当にありがとうございます。

Timothy was a model for us in this. Paul wrote:
テモテはこのように私たちにお手本を示してくれました。
パウロは、こう書いています。

Recalling your tears, I long to see you, so that I may be filled with joy.
2 Timothy 1:4

ぜひもう一度あなたに会いたいと願っています。この願いがかなえられたら、どんなにうれしいでしょう。今でも、あの別れの時の涙にくれたあなたの姿が、まぶたに焼きついています。
テモテへの手紙Ⅱ 1:4

I find this verse intriguing in some ways. I always thought joy was a fruit of the Holy Spirit. (It is.) I thought the unspeakable joy that the Bible talks about filling the believer was the unique work of the Holy Spirit. (It is.)
この説を読んで、面白いなと思いました。私は「喜び」と言うのは聖霊による賜物だといつも思っています。聖書が言っている「言い表せないほどの喜び」を感じることは聖霊だけができる業ですし、まさにその通りです。

Our joy in Christ is certainly of the Holy Spirit but is also activated through the relationships we have in His holy church. In this, I want to encourage each of you to develop deep relationships with others in the church so that we can each be bringers of joy to others in our church family. So be a bringer of joy like Timothy.
キリストに見出す私たちの喜びは、確かに聖霊の働きによるものですが、私たちの聖なる教会の中での人間関係を通しても「喜び」をさらに感じることができます。この中で、教会の他の人たちと深い関係を築いて、互いに喜びを与えることができるようになってもらいたいと思います。ですからテモテのように、喜びをもたらすことができる人になりましょう。
(教会の人たちと深い関係を築くことによって教会家族の中で互いに喜びをもたらす者となることができます。ですからテモテのように喜びをもたらす者となりましょう。)

  1. Lois and Eunice
    ロイスとユニケ

次はロイスとユニケについてお話しします。

Lois was Timothy’s mother, and Eunice was his grandmother. We don’t know much about these two ladies other than that they were women of “sincere faith”. Paul writes:
ユニケはテモテの母親であり、ロイスは祖母でした。私たちは、この2人の女性について、彼らが「誠実な信仰を持った女性」であること以外はあまり知りません。 ポールはこの二人の女性についてこう書いています。

I am reminded of your [Timothy’s] sincere faith, which first lived in your grandmother Lois and in your mother Eunice and, I am persuaded, now lives in you also.
2 Timothy 1:5

あなたの主に対する熱心な信仰は、お母さんのユニケやおばあさんのロイスに少しも劣らないことを、私はよく知っています。そして、今でもその信仰は変わらないと信じています。
テモテへの手紙Ⅱ 1:5

Lois and Eunice remind us of the [There is a] very, very great importance of raising our family in the faith. In Lois and Eunice’s world it would have been very difficult to do so. They were living in a world that was hostile to the Christian faith, the church was still in its infancy, and to make things harder, Timothy’s father was likely not a believer. But the sincere faith of these ladies won out.
ロイスとユニケは、家族が信仰をもつように育てることはとても大切なことだと教えてくれます。ロイスとユニケの時代では、そうすることは非常に困難でした。彼らはキリスト教の信仰に敵意を持った世に生きていました。教会はまだ初期の状態でしたし、さらに困難を極めたのは、テモテの父親が信者ではなかったことです。しかし、この二人の女性の誠実な信仰が勝利をえました。
(家族が信仰をもつように育てることはとても大切なことです。)

It’s no easier to raise kids in the faith today, but it remains just as important. I have been encouraged watching Toy and Susan (from the Garden Church) carry on one-on-one discipleship via email over the last few months. It’s been a very encouraging and a wonderful learning experience for both of them.
今日(こんにち)信仰を持って子供たちを育てるのは簡単ではありませんが、それはとても大切なことです。ロサンジェルスのガーデンフェローシップ教会のスーザンと私の妻が、過去数ヶ月にわたって、e-メールで1対1の勉強会を続けています。私はとてもいいことだと思って見ています。スーザンと妻、お互いにとって非常に励みになって、素晴らしい学びの体験になっているのではないかと思います。

They have been working together through the book “The Power of Praying for your Adult Children” and praying together for their/our children. I look forward to seeing what fruit the sincere faith of these ladies produces.
妻とスーザンは、「あなたの成人になった子供のために祈る力」という本を通して一緒に学んでおり、彼らの成人した子供たちのために一緒に祈っています。私は、このような女性の誠実な信仰がどんな結果、果実を生み出すのかをとても楽しみにしています。

Who are the big guns of the faith? Who will get the big prizes in heaven? I can see it across the skies now: Billy Graham, Rick Warren, Eunice, Susan…
信仰について有名な人は誰でしょうか?誰が天国で大きなご褒美をもらうのでしょうか?ビリー・グラハム、リック・ウォレン、ユニス、スーザンでしょうか?

Be a raiser of believers, like Lois and Eunice.
ロイスやユニケのように信者を育てる者となりましょう。

  1. Phygelus, Hermogenes, and Alexander the metalworker
    フゲロ、ヘルモゲネ、銅細工人のアレキサンデル

次は、フゲロ、ヘルモゲネ、銅細工人のアレキサンデルについてお話しします。

These guys were deserters and hurters.
この人たちは信仰を捨て去って逃げた人たち、人を傷つける人たちでした。

You know that everyone in the province of Asia has deserted me, including Phygelus and Hermogenes.
2 Timothy 1:15

あなたも知っているとおり、アジヤから来たクリスチャンは、みな私を捨てて行きました。フゲロとヘルモゲネさえ離れて行ったのです。
テモテへの手紙Ⅱ 1:15

That’s all we know about these guys. They were deserters. They gave up. They stopped running the race – at least with Paul. The sole legacy we have of these guys is that they were deserters. Whatever you do, be warned, do not leave this legacy behind.
これらの人たちは信仰から逃げた人たち、脱落者でした。彼らは何もかも投げ捨てました。彼らは頑張ることをやめてしまいました。これらの人たちが残したものは「信仰を諦めて捨て去った人」と言う評判だけです。みなさんは、どんなことがあっても、このことから学んで同じ過ちに陥らないように気をつけてください。
(彼らは捨てていった人たちです。)

Alexander the metalworker was even worse:
金属細工師であるアレキサンデルはもっと悪い人でした。

Alexander the metalworker did me a great deal of harm. The Lord will repay him for what he has done. You too should be on your guard against him, because he strongly opposed our message.
2 Timothy 4:14-15

銅細工人アレキサンデルが、私にひどい仕打ちをしました。主が罰してくださるでしょうが、 彼には気をつけなさい。私たちのことばに、ことごとく逆らったからです。
テモテへの手紙Ⅱ 4:14-15

Will we be remembered as one who hindered the gospel, or as one who helped it? Don’t be a deserter or a hurter.
私たちは福音を邪魔する人になりたいですか?それとも福音を広める人になりたいですか?みなさん、信仰を捨てる人、人を傷つける人にはならないでください。
(信仰を捨てる人、人を傷つける人にならないでください。)

  1. Onesiphorus
    オネシポロ

次はオネシポロの話をします。

Onesiphorus is only mentioned in this letter. He wasn’t a big name. But he was a big help to Paul and to others in the faith. He helped to carry Paul’s burden in very practical ways and so, according to Galatians 6:2 he fulfilled the law of Christ. Paul writes of him very fondly:
オネシポロはテモテの手紙第二でのみ言及されています。彼は有名ではありませんでしたが、信仰と言う点では、彼はパウロと他の人たちの大きな助けとなりました。彼は実質的にパウロの負担を担う助けをしました。ガラテヤ6章2節によれば、彼はキリストの律法を成し遂げました。パウロはオネシポロを非常に気に入っていました。
(パウロの重荷を背負う助けをしました。)

May the Lord show mercy to the household of Onesiphorus, because he often refreshed me and was not ashamed of my chains. On the contrary, when he was in Rome, he searched hard for me until he found me. May the Lord grant that he will find mercy from the Lord on that day!
2 Timothy 1:16-18

どうか主が、オネシポロとその家族とを祝福してくださいますように。彼はたびたび私を訪ね、励ましてくれました。彼が来るたびに、私はたいへん元気づけられたのです。しかも彼は、私が獄中にいることを、少しも恥ずかしいこととは思いませんでした。 その証拠に、彼はローマに着くとすぐあちこち捜し歩いて、ついに私を訪ねあててくれたのです。 どうか、再びキリストのおいでになる日に、主が、彼を特別に祝福してくださいますように。
テモテへの手紙Ⅱ 1:16-18

I want to be like Onesiphorus. What a beautiful legacy he left behind! I, too, am encouraged to go looking for the needy and refresh them physically and in the faith, and help them fulfill their mission in Christ. What a beautiful legacy for us to leave behind.
私はオネシポロのようになりたいと思います。彼が残した業績とは、なんと素晴らしいのでしょうか。オネシポロは貧しい人々を探して、そして信仰を持って人々を励まし元気づけ、彼らが神からの使命を果たすのを助けようとしました。オネシポロのようになりたいと私も励まされます。なんと素晴らしい話でしょうか。

Be a helper like Onesiphorus.
オネシポロのよう、に助ける者となりましょう。

  1. The unknown songwriter
    無名の作詞家

次に 無名の作詞家についてお話ししましょう。

We came across an unknown songwriter in Philippians chapter 2. Here we find another one. Listen to this:
私たちは以前、ピリピ人の2章に、無名の作曲家のことが書かれているのに気がつきましたが、もう一人見つけました。次の句を聞いてください。

If we died with him, we will also live with him;
if we endure, we will also reign with him.
If we disown him, he will also disown us;
if we are faithless, he remains faithful,
for he cannot disown himself.
2 Timothy 2:11-13

私は次の真理を知っているので、慰められます。すなわち、キリストのために苦しみを受けて死ぬ時が、天で、キリストと共に生きる時の始まりを意味するということです。 もしも、主に仕える現状をつらいと思うことがあれば、いつの日か必ず主と共に王座につき、共に治めるようになることを思い起こして励みなさい。もし、私たちが苦しみに耐えかねて、キリストを拒むようなことがあれば、キリストも、私たちを拒まれるに違いありません。 しかしたとえ、信仰をなくしたかと思えるほど私たちが弱くなっても、キリストは真実を貫き、私たちを助けてくださいます。私たちは主の一部分になっているので、切り捨てられることはないのです。そして、主はいつも約束を果たしてくださいます。
テモテへの手紙Ⅱ 2:11-13

Here Paul quotes another early hymn. The hymn itself is worthy of study because it has some really interesting lyrics and teachings. But all I want to focus on this morning is the fact that an unknown worshipper of Jesus sitting under a fig tree somewhere, still wearing his or her toga, strumming on a harp and moved by the Holy Spirit, penned a song that ended up as scripture. What a legacy!
この箇所では、パウロは教会初期の別の賛美歌を引用しています。本当に興味深い詞や教えが書かれているので、賛美歌そのものは勉強する価値があります。しかし、私が今朝、強調したいのは名も知らないイエスの崇拝者が、ある場所でイチジクの木の下に座ってトーガと言う衣装を身に着けて、聖霊によって動かされハープを鳴らして歌を作った。そしてその歌が聖句になったのだと言うことです。なんと素晴らしい話でしょうか!

Let your worship of God be a legacy to others. It doesn’t need to be a song, but be a true worshipper like the unknown songwriter.
あなた自身の神への賛美を他の人へ受け伝えることができるように世に残しましょう。それは歌である必要はありませんが、無名の作詞家のように心から礼拝する者となりましょう。無名の作詞家のように心から礼拝する者となりましょう。

  1. Priscilla and Aquila
    プリスカとアクラ

次はプリスカとアクラについて話します。

Paul loved these guys. We read about them throughout Acts, in Romans, in 1 Corinthians and here in 2 Timothy. They were hospitable to Paul, they humbled themselves under his teaching, they travelled with him, they served with him, and they had a church regularly meet at their house.
パウロはこの二人を愛していました。使徒行伝、ローマ人、コリント人第一、そしてテモテ第二の中で、この二人について書かれています。彼らはパウロに親切でパウロの教えの下で自分自身を謙虚にしパウロと共に旅し、パウロと共に奉仕し、家を教会とし、みんなで定期的に会っていました。

Greet Priscilla and Aquila and the household of Onesiphorus.
2 Timothy 4:19

プリスカとアクラに、またオネシポロの家族に、よろしく伝えてください。
テモテへの手紙Ⅱ 4:19

Priscilla and Aquila left a wonderful legacy of service and hospitality. Be a servant like Priscilla and Aquila.
プリスカとアクラは素晴らしい奉仕と手厚いもてなしと言う行為を世に残しました。プリスカとアクラのように仕える者になってください。
(プリスカとアクラのように仕える者になりましょう。)

  1. Paul
    パウロ

次は最後の7人目、パウロについてお話しします。

Paul’s legacy is undeniably a very, very big one. We can learn so much from him. Let’s start with this:
パウロが世に残したものは、確かに非常に大きなものです。私たちは彼からとても多くを学ぶことができます。では、次の箇所から始めましょう。

Remember Jesus Christ, raised from the dead, descended from David. This is my gospel, for which I am suffering even to the point of being chained like a criminal.
2 Timothy 2:8,9

イエス・キリストが、人間としてダビデ王の家系から生まれ、同時にまた神であること〔それは、死者の中からの復活という事実によって証明されました〕を、いつも覚えていなさい。 私が今こんな目に会い、犯罪者のように牢獄に放り込まれているのは、ほかでもなく、このすばらしい真理を人々に伝えたからです。しかし、私は鎖でつながれていても、神のことばはつながれてはいません。
テモテへの手紙Ⅱ 2:8-9

Does anything strike you as unusual or surprising in this passage?
この句を読んで、何かに驚きませんでしたか?

Paul refers to the gospel as “my gospel”. Not just “the gospel” or “the gospel of Christ” or “the gospel of salvation”, but “my gospel”.
パウロは福音を「すばらしい真理」と呼んでいます。 ただの「福音」または 「キリストの福音」または 「救いの福音」ではなく、「すばらしい真理」です。

This gospel that Paul is carrying – it’s personal. It’s the essence of who he is. We can’t say, “Well, the gospel teaches this, but I’m not so sure about that…” (See 2 Timothy 3:12) We can never distance ourselves from the gospel; we can never be ashamed of the gospel of Christ. We need to be able to say, “This is my gospel. This is what I believe. This is what I live”.
パウロが伝えているこの福音は、彼が信じているものです。福音は彼の本質を表すものです。テモテ第二3:12に書いてあるように「福音はこのように教えていますが、それについては定かではありません…」などと、決して福音から私たち自信を遠ざけることはできません。私たちは決してキリストの福音を恥じることはありません。私たちは、「これは私の福音です。「これが私の福音です。これが私が信じていることです。これが私の生き方です。」と言えるべきです。
(パウロが伝えているこの福音は、彼が信じているものです。 これが私の福音です。これが私が信じていることです。これが私の生き方です。)

Paul had certainly had his hardships in the faith. You can read all about them in 2 Corinthians 11. So how did he keep on going? Where did he find the strength to keep persevering? He shares this with us in 2 Timothy 4:16-17:
パウロは確かに信仰に苦しみました。第二コリント11章にパウロの苦悩が書いてあり、読むことができます。彼はどこで忍耐し続ける強さを見いだしたのでしょうか?彼はそのことをテモテ第二の4:16-17に書いてくれています。

At my first defense, no one came to my support, but everyone deserted me. May it not be held against them.* But the Lord stood at my side and gave me strength, so that through me the message might be fully proclaimed and all the Gentiles might hear it.
2 Timothy 4:16-17

私が初めて、裁判官の前に連れ出された時、弁護してくれる人は一人もいませんでした。だれもが見捨てて、逃げてしまったのです。どうかそのことで、彼らが神から責められませんように。 しかし主は共にいて、私を助けてくださいました。神のことばがあらゆる国の人に伝えられるため、大胆に福音を語る機会を与えてくださいました。また、あわやライオンのえじきとなるところを、助け出してくださいました。

テモテへの手紙Ⅱ 4:16-17

* Can you imagine how he would have felt at that point in his life?

Support from church members is really important and wonderful. Support from books is good, too. But ultimately our support, our strength, our rescue comes from God Himself. So for strength, use the resources of the church, both local and global – but know that your strength and your help ultimately will always come from your relationship with God Himself. So never stop praying, never stop reading the Word, never stop walking in obedience in the Spirit.
この教会のみなさんの支援は大切で素晴らしいです。本からの知識も助けとなり励まされます。しかし、最終的に私たちの助け、強さ、救いは神ご自身から来るものです。ですから、強くなるためには、教会の持っている富、人材、資源などを使いましょう。しかし、あなたのための「力」と「助け」は、最終的に神様とあなたの関係から来ます。だから、決して祈りをやめないで、決して聖書を読むことをやめたり、聖霊に従うことを止めたりしないでください。
最終的に、私たちの力は神ご自身からきます。

I mentioned at the start that when writing 2 Timothy, Paul knew his life was nearly over. He was lonely. He was reflecting back on those who had helped him, and a few of those who had hindered him. So what attitude did he have at the end of it all? Did he look back with any regret or bitterness? What was his frame of mind?
今日、私は最初に、パウロがテモテ第二を書いたとき、彼は自分の人生がほぼ終わったことを知っていたと言いました。彼は孤独でした。彼はこの書の中で彼を助けてくれた人たちと、彼を邪魔していた人たちのことを書きました。では、彼は最後にどのような態度を取ったのでしょうか?彼は自分の人生を振り返って後悔や苦痛を感じ他でしょうか?パウロは心で何を感じていたのでしょうか?

He writes about it at the end of this letter:
彼はこの手紙の最後に自分の気持ちについて書いています。

For I am already being poured out like a drink offering, and the time for my departure is near. I have fought the good fight, I have finished the race, I have kept the faith. Now there is in store for me the crown of righteousness, which the Lord, the righteous Judge, will award to me on that day—and not only to me, but also to all who have longed for his appearing.
2 Timothy 4:6-8

こう言うのも、私の最期が迫っているからです。いつまでもあなたを助け続けるわけにはいきません。もうすぐ天国へ旅立ちます。 主のために、長いあいだ困難な戦いを続けてきた私は、主への真実を守り通しました。しかし今、ついに、休む時が来たのです。天では栄冠が待っています。正しい裁判官である主が再び来られる日にいただく冠です。もちろん私だけにではなく、主を熱心に待ち望む人々全員に授けられるのです。
テモテへの手紙Ⅱ 4:6-8

What a wonderful attitude to live and die with.
なんと素晴らしい態度でしょうか。

What have we learned today?
今日私たちは何を学んだでしょう?次の7つのことを学びました。

  • Be a bringer of joy like Timothy.
    テモテのように喜びをもたらす者となりましょう。
  • Be a raiser of believers, like Lois and Eunice.
    ロイスやユニケのように信者を育てる者となりましょう。
  • Don’t be a deserter or a hurter, like Phygelus, Hermogenes, and Alexander the metalworker
    フゲロ、ヘルモゲネ、銅細工人のアレキサンデルのように信仰を捨てる人、人を傷つける人にならないでください。 
  • Be a helper like Onesiphorus.
    オネシポロのように助ける者となりましょう。
  • Be a true worshipper like the unknown songwriter.
    無名の作詞家のように心から礼拝する者となりましょう。
  • Be a servant like Priscilla and Aquila.
    プリスカとアクラのように仕える者になりましょう。
  • Be a keeper of the faith, like Paul.
    パウロのように信仰を守り通す者となりましょう。

Pray.