The Holy and the Common – Valuing Like Christ 聖なるものと俗なるもの-キリストのように見極める

In the kids’ message this morning we were looking at a special word.
今朝の子供達へのメッセージにもありましたように、
Holiness.聖さ
When we think of the very nature of God – His attributes – I suspect that loving is the first thing that many people think of.
私たちが神様の性質を考えた時に、神の全ての源だと考えられるもの、私が思うに、おそらく皆さんは真っ先に愛を思いつくのではないかと思いますが。
And it’s easy to understand why. God is love.
もちろん神が愛であると考えることはもっともです。神は愛です。
Other key attributes would be powerful, mighty, just, forgiving, kind. 
このほかにも神に起因するもの、神を表すものは愛に満ちた 力強い、大いなる、公正、
赦しに富み、親切 があります。

But when the Bible takes us right before the throne of God, right into His presence (in the books of Isaiah and Ezekiel and Revelation) the angels before God are not crying out “Loving, loving, loving is the Lord God Almighty!”
しかし聖書が私たちを神のみ座に、神の臨在に導いてくれる時、(このことはイザヤ書や、エゼキエル書、ヨハネの黙示録に書かれていますが、)天使たちは神の御前で「愛に満ち溢れた、愛に満ち溢れた、愛に満ち溢れた、全能者にして主なる神!」とは言いませんでした。
They’re not crying out “Powerful, powerful, powerful is the Lord God Almighty!”
天使たちは神に向かって「偉大なる力の、偉大なる力の、偉大なる力の、全能者にして主なる神!」とも言いませんでした。
They’re crying out
天使たちは神の御前でこう叫びました。
“Holy, holy, holy is the Lord God Almighty.”Revelation 4:8
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神 ヨハネの黙示録4:8
They’re really emphatic about the holiness of God. 
天使たちは、神は「聖なる神」であるとはっきりと断言したのです。

So,ですから
1. Holiness is the very essence of who God is
聖さは神のご性質そのものです。

This morning I really want us to try to grasp what this holiness of God is because it’s something that we are to have, too.
今朝は特に皆さんに神の聖さとは何かということをわかってもらいたいのです。なぜなら、私たちも神のように聖くなるべきだからです。

It’s what we call a communicable attribute of God, which means it’s a part of God which He shares with us.
この聖さとは、私たちと分かち合って下さり、広がり、伝わる、神の一面だと言われています。

“He has given us his very great and precious promises, so that through them you may participate in the divine nature.” 2 Peter 1:4
また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである。ペトロの手紙二1:4

God’s holiness means that He is separated from sin and devoted to seeking His own honour.
神の聖さとは、「神が罪から離れており、ご自身の誉れを求めることに専念しておられること。」を言います。

For very fallible and corrupt human beings, that might seem to be a bit of an odd definition.
過ちを犯しがちで、堕落した人間たちにしたら、こんな考え方は少し変わっているかもしれません。
But holiness is about separation.
しかし、聖さは離脱すること、離れることを言います。
Separating the godly from the common and separating the common from the profane.
信者を一般人から遠ざける、一般人を神の冒涜者から遠ざける。というようなことを言っているのではありません。
It is not a list of do’s and don’t’s.
こんなことはやってもやらなくても、どうでもいいようなことです。
Holiness leads to an inward desire to separate ourselves from the values of the world and to align ourselves with the values of Christ.
聖さは、世界の価値観から自分を離脱させ、キリストの価値観を自分のものにしたいという、あなたの内なる願望に導きます。
It is the Holy Spirit imparting his own nature into our lives. That’s what holiness is.
聖霊こそが神の性質を私たちの人生に分け与えてくれているのです。それが聖さなのです。

2. Holiness is to be the essence of who we are
聖さは私たちの本質であるべきものです。

Holiness is to be our ultimate life goal. 
聖さは私たちの究極の人生の目標であるべきものです。
Not our savings, our education, our image or status. It’s holiness.
私たちの 究極の人生の目標とは、貯金でもないですし、教育でもありません。私たちが人にどう見られているかと言う、見せかけでもありませんし、社会的な地位でもありません。人生の究極の目標とは聖さにあります。
“Be holy, because I am holy.” Leviticus 11:45
わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない。レビ記11:45
This call to holiness affects everything.
このように聖くあれと言うお召しは、全てのことに影響を及ぼしていきます。
It affects our decision making (and we looked at this when we studied wisdom a few weeks ago).
私たちの決断に影響を及ぼします。このことは、二週間前に知恵について学んだ時にお話ししました。
It affects our business, friendship and romantic relationships.
また、聖くあることは、私たちの仕事に影響を及ぼします。友達関係や恋愛関係にも影響を与えます。
It affects our values, ethics and morals. It affects our behaviour, our speech and our thinking.
聖さは私たちの価値観や、倫理観や道徳観に影響を与えます。私たちの行動にも、話し方や、考え方にも影響します。
Unlike in OT times when certain regulations had to be followed for a person to be holy, in NT times, everything is to be holy. We are to be holy.
人が聖くなるためには、決まった規則があり、それを守らなければならないと旧約聖書が言うようなものではなく、新約聖書には全てのものは聖い。私たちは聖いのだと書かれています。
So ですから、

Holiness is not just a series of rules to follow but it is to be the essence of who we are.
聖さは従うべき一連の規則ではなく、私たちの本質であるべきです。
We are set apart from sin and we are set apart to God.
私たちは罪から離れ、神に向かうように、他のものから離脱していくべきです。
We don’t need a list of rules for what we are to do and not do.
私たちにしてはいけないことやすべきことのルールは必要ありません。
We need a new heart that yearns to be holy.
聖くなりたいと願う新しい心が私たちには必要です。

I wrote about this in Tuesday’s mail.
私は、今週火曜日のメールにこう書きました。
This yearning to be holy, this yearning to spend time in the presence of God should be a natural response to the Spirit of God living within us.
聖くありたいと言う憧れや、望みを持つこと。また、神と時間を過ごしたいと熱望することは、神の聖霊が私たちのうちに存在していれば、自に起こる反応である。

In the kids’ message I talked about Pierre being holy. It’s true! Praise God!
キッズのメーセージの中で、ピエールが聖いというお話をしました。本当にそのとうりです。神様を賛美します。
Pierre has been made holy! It is now the essence of who he is. Not by following the law but by receiving Jesus as the Lord of his life.
ピエールは聖くさせられました。法律に従う訳でもなく、イエスを彼の人生に受け入れたことによって、彼がどのような人になったのかという真髄をついています。

3. Holiness is the result of the Spirit of Jesus living in us.
 聖さは私たちの内に住むイエスの霊から生じることです。

In the OT holiness came through the OT law.
旧約聖書の中に出てくる聖さは旧約聖書の法律に従うことでした。
That was the purpose of the OT law.
それが、旧約聖書の目的だったのです。
The law was given to make God’s people holy.
それらの法律は、神の人々を聖くするために与えられました。
But it was very arduous and complicated.
しかし、それは非常に辛く複雑なものでした。
And it was only ever a temporary measure until something or someone better and more permanent came along.
そしてそれらの法律は、何かもっと他の、さらに良い何か、またはもっと永続的な何か、何者かが取って代わるまでの、一時的な秤でしかなかったのです。
That someone was Jesus.
そしてその何者かが、イエスだったのです。

Since NT times, holiness comes through the redemptive work of Christ.
新約聖書の時代以来、聖さはキリストの贖いのはたらきから来ています。
The Spirit of Jesus enters us at conversion and then sanctification – that is, the process of becoming holy – begins.
イエスの霊が回心したときに私たちのうちに入り、それから聖め、つまり聖くなっていくことが始まります。

This was foreshadowed in the OT.
これは旧約聖書の中の新約聖書への伏線となります。
[Kids to act out] One day, Moses was tending his sheep in the wilderness.
ある日、モーゼは野生の羊を手懐けていました。
And suddenly he sees a burning bush.
そして突然、燃えている茂みを見ました。
He goes over to take a closer look and he hears the voice of God.
モーゼは茂みに近づきよく見ようとし、神の声を聞きます。
And God says 神は言いました。
“Take off your sandals, for the place where you are standing is holy ground.” Exodus 3:5 足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである。 出エジプト記3:5
Moses was standing on holy ground.
モーセは聖なる地に立っていました。
Now, what’s important to understand is that it wasn’t the soil itself that was holy.
さてここで、理解しないといけない大切なことは、聖いのはその土だというということではありません。

If Moses had dug it up and carried it around with him, it wouldn’t have meant much.
もしモーゼがその土地を掘り返し自分と共に土を持ち歩いたとしたら、意味がありません。
It wasn’t the ground itself that was holy but it was the presence of a Holy God that made the ground holy.
その土地が聖いのではなく、聖霊の存在がその地を聖くしたということを言っているのです。

This means for us today,
このことを今日の私たちに当てはめてみると、
when we penitently take communion we are standing on holy ground.
悔い改めて聖餐式を受けるとき私たちは聖なる地に立っています。
When we read or teach from the Word of God we are standing on holy ground.
神の御言葉を読んだり教えたりするとき私たちは聖なる地に立っています。
When we pray we are standing on holy ground.
祈るとき私たちは聖なる地に立っています。
When we’re washing the dishes at the kitchen sink we’re standing on holy ground because as Christian people the Spirit of God never leaves us.
台所で洗いものをしているとき、私たちは聖なる地に立っているのです。なぜなら私たちクリスチャンにとって聖霊は私たちから決してなはれないからです。
His holy presence is always available to us.
神のご臨在はいつも私たちと共にあります。
We can quench and grieve the Spirit of God within us by sinning.
私たちは渇きを癒すことができますし、神の聖霊があるがゆえに罪を嘆きかなしむことができます。
When we do our relationship with God remains but our fellowship with Him is broken until we repent.
私たちの神との関係は残り続けます、しかし、神への賛美は、私たちが悔い改めるまで、ひびが入った不完全な状態です。
We need to move back onto holy ground, come back into the presence of God.
聖なる地に再び戻る必要があります。神の臨在に立ち返り触れる必要があります。
We’re able to come back onto holy ground because the death of Jesus ripped the curtain of the temple in two and gave us direct access to the throne of the Holy God.
イエスの死が神殿の幕を2つに裂き、聖なる神の御座に直接近づけるようにしてくださったので聖なる地に戻ることができるのです。

4. Holiness leads to radical change
 聖さは根本的な変化へと導きます。

David Wilkerson, the founding pastor of Times Square Church in New York, discusses three areas of radical change when we are standing on holy ground, living in the presence of a holy God. I want to finish with these three thoughts which highlight the radical change that holiness brings.
デビッド ウィルカーソンという牧師がいます。ニユーヨークのタイムズスクエアーの教会の創始者です。彼は、私たちが聖なる神の臨在の中に生き、聖なる地に立った時にもたらされる革命的な変化のことを、次の三つの領域について議論しています。

i. Holy ground is a place where our sins and weaknesses are exposed.
 聖なる地は私たちの罪や弱さがさらされるところです。
Before a holy God our sins are exposed for the purpose of learning that our strength can only be in God if we are to be holy and work in His Kingdom.
聖なる神のみ前に私たちが聖くあり、神の御国で働くのだとすれば、私たちの罪はさらけ出され、「神によってのみ与えられる強さ」を学ぶという目的があるということを目の当たりにされます。
God disciplines us for our good, in order that we may share in his holiness. Hebrews 12:10
たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。ヘブライ人への手紙12:10

ii. Holy ground is a place of no reputation.
 聖なる地は評価がないところです。
Wilkerson wrote to group called the Kingston Trust to get biographical backgrounds on men who had served in a wonderful ministry.
ウィルカーソンはキングストン トラストというグループに宛てて、「素晴らしい伝道活動をして神に使えた人々の伝記をください。」と手紙を書きました。
This is the answer he received from the Trust:
すると、トラストからは次のような返事が返ってきました。

“Dear David – These men labored mostly unknown and unrecognized in their time.
デイビッドさんへ、これらの働き手の人たちは、大半が有名ではなく、その時代には知られていない人たちです。
They allowed little to be written about themselves; consequently, there is nothing to send you.
彼らについては、殆ど書き残されておらず、結果的に、あなたに送れるものはありません。
They were concerned only with the glory of Christ and cared nothing for reputation or recognition.”
それらの人物たちは評判もなければ、認識もされておらず、キリストの栄光によってという表記しかされていません。

Wow!
No pictures! No press clippings. No glamour.
なんということでしょう!写真もなければ、新聞の切り抜きもない。なんら魅力的な話がありません。
No flowery recommendations from well-known pastors. Nothing left of their work or reputation but the message of Christ.
よく名前を知られている牧師からのお褒めの手紙もなければ、彼らの業績や評判が残っているわけでもなく、彼らはキリストのメッセージしかこの世に残していませんでした。

Wilkerson comments on this in a sermon:
このトラストというグループからの返答についてウィルカーソンは次のように言っています。以下はウィルカーソンの説教からの抜粋です。

“Let me tell you honestly what I believe a number of well-known ministers ought to do.
正直な意見を言わせてもらえば、現在の有名な牧師たちはやるべきことはやっていると思います。
Shut it all down for a while and get alone with God.
しかし、それらの有名な牧師たちに言います。「全てのことを断ち切って神とのみ時間を過ごしてください。」
Enter into a time and place of no reputation.
評判や名声などのない場所や時間に自分をおいてください。
Decrease! Shut down all the machinery – turn off all the cameras – silence all the publicity.
目立つことを控えなさい!全ての機械を止めて、カメラを止めて、全ての報道をやめなさい。
Let all the promotion grind to a halt.
全ての宣伝活動をやめましょう。
Let the dear man of God isolate himself from the public eye, and let him touch God for a new revelation of Christ.
大切な神の子、牧師を公の人々の目から隔離して、キリストによる新たな開放のために、神に触れさせましょう。
Then bring back what is of God, in a purified form.”
そして牧師たちは、神から与えてもらった何かを純粋な形にして、この世に戻しましょう。

Incidentally, Rick Warren did exactly this. The result was a book called The Purpose Driven Life.
ちなみに、リック ワーレン牧師はちょうどこのように、公の目から離れて、身を隠し神とのみ時間を過ごすということを実行しました。
結果的には「人生を導く5つの目的―自分らしく生きるための40章」という本になりました。
Jesus Himself is our model when it comes to loss of reputation:
名声を失うという点で、イエスは私たちのとてもいい手本となります。
Jesus made himself nothing by taking the very nature of a servant, being made in human likeness. Philippians 2:7
かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。
フィリピの信徒への手紙2:7

iii. Holy Ground Is A Condition Of Freedom From Materialism.
 聖なる地は物質主義から解放された状態です。
Nothing saps the power and authority of a man of God quicker than materialism.
物欲、物質主義ほど、神の子から力と権限を奪ってしまうものはありません。
To get on holy ground, we have to cut the cord of materialism.
聖なる地に立つためには、私たちは物欲を断ち切らなくてはなりません。
Wilkerson says (and I am the same), I have not yet come to that place, but that is my goal.
私も同じ思いですが、ウィルキンソンはこの物欲についてこう言いました。「私はまだ、その地に到達はしていません。でも、そこは私の目標地点です。」

I really want to encourage each of you individually and us as a unified community to seek out the holiness of God, to understand your own holiness and pray and ask God to show you what that means in the way you live your life.
みなさん一人ひとりに、そして一つのコミュニティーとして神の聖さを求め、自分の聖さを理解し、聖く生きるということはどういうことか示してくださるよう神に求めていきましょう。
I want to encourage you to “be holy as He is holy”.
みなさん、神が聖いように、みなさんも聖くいてください。
I want to encourage you to value as Jesus valued.
イエスが尊重し、大切にしたことを、私たちも尊重しましょう。
Pray.