February 9th, 2020
Minoh International Church
Pastor Joseph Ricohermoso
James 1:1-12
ヤコブの手紙 1:1-12
Introduction
No one is exempted from TRIALS. Let’s hear from some of the biblical characters like …
誰しも試練から逃れることはできません。次のような聖書の登場人物からそのことについて考えていきましょう。
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Job – “Mortals … are of few days and full of trouble” (Job 14:1).
ヨブ-「女から生れる人は日が短く、悩みに満ちている。」(ヨブ記14章1節)。 -
David – “The righteous person may have many troubles” (Psalm 34:19a).
ダビデ–「正しい者には災が多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。
(詩編34章19節) -
Paul – 8 “We are hard pressed on every side, …perplexed, … 9 persecuted, … struck down …” (2 Corinthians 4:8-9).
パウロ-「わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。(コリント第二 4:8-9)
In this letter, James was addressing Jewish Christians who were literally bruised with adversity. They were being hunted under the persecution instigated by the Roman emperor Claudius.
この時、ヤコブは逆境で文字通り傷ついたユダヤ人のクリスチャン達にを手紙を書いていました。彼らはローマ皇帝クラウディウスによって引き起こされた迫害の下で苦しんでいました。
They had been hauled off from their homes and homeland and were constantly being treated with hostility – by Gentiles, who hated them because they were Jewish, and by fellow Jews, who hated them for being Christians.
彼らは自分たちの家や故国から引き離され、ユダヤ人だからという理由で彼らを憎んだ異邦人や、キリスト教徒であることを嫌った仲間のユダヤ人によって常に敵意を持たれていました。
These believers knew the bruised and bloodstained misery of troubles that wouldn’t go away.
これらの信者達は、忘れることのできない悪い経験と打ち砕かれた悲惨さを体験していました。
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What do we know about trials? – verses 2-4
私たちは試練について何を知っているでしょうか? – ヤコブ1章 2-4節
People have different theories about trials. Some people believe they’re a form of punishment from God.
人々は試験についてさまざまな解釈を持っています。一部の人々は、自分への神からの罰の形であると信じています。
Others want us to falsely believe that if we can just reach a certain level of maturity, trials will disappear and we’ll live happily ever after; life will be one big amusement park.
他の人たちは、私たちがクリスチャンとしてある一定のレベルにまで成長すれば、試練は消え、私たちはいつまでも幸せに生きることができると信じ、望んでいます。そうすれば、人生は楽しくなると信じているのです。
While others are out there in perpetual denial that there’s really no such thing as adversity. Trials such as pain, sickness and death are a byproduct of our imagination. They don’t really exist.
また他の人々は、逆境のようなものは実際には存在しないと、ずっと否定し続けています。痛み、病気、死などの試練は、想像力の副産物だと思っているのです。そんな試練は実際には存在しないと思っているのです。
James, however, has a different conclusion about trials.
しかし、ヤコブは、試練について異なる答えを持っていました。
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Trials are inescapable – v.2
試練は避けることができない– 2節
Did you notice that the writer didn’t use the word, “IF” but rather, “whenever.” We don’t need to wonder if they’ll come or when they’ll leave. They are here to stay! It’s the same idea when the apostle Peter wrote:
ヤコブは「むしろ」という言葉を使いましたが、「いつでも」という言葉を使用しなかったことに気づきましたか?私たちは、試練が来るのか来ないのか、または、試練がいつ来るのかを考える必要はありません。試練はやって来るのです。使徒ペテロが書いたことと同じ考えです。
James also gives us fair warning about the kind of trials we can expect. He said, “trials of many kinds,” which from the original language we get the term polka dot. He is saying that we can expect our lives to be covered with trials of all shapes and sizes.
ヤコブはまた、私たちが会うと思われる試練について警告を与えてくれています。彼は、「いろいろな試錬」と言い表しました。これは、元の言語では「水玉模様」という意味です。ヤコブは、私たちの人生が、まるで水玉模様のように、いろいろな形と大きさの試練で覆われるだろうと言っているのです。
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Trials have a purpose – vv.3-4
試練には目的がある– 3-4節
God in His wisdom doesn’t do things randomly. Whenever He allows trials to come, they come with a purpose. Therefore, we have to give up viewing troubles as simply annoyances and start seeing them as tests.
神はご自身の知恵を持って、無軌道に行動したりはしません。神が私たちに試練が起こるのをお許しになる時はいつでも、目的を持ってなされます。したがって、私たちの目前にある試練を、単に煩わしいものと思って諦めてしまってはいけません。試練によって私たちは試されていると見始める必要があります。
They are meant to stretch our faith, not simply our finances, friendships or health. We should accept trials as God-given means to help us grow rather than viewing them as our foes.
試練は単に私たちの経済、友情、健康だけに表れているのではなく、私たちの信仰を伸ばすことを目的としているのです。神から与えられた試練を、敵として見るのではなく、成長を助けるための手段として受け入れるべきです。
God isn’t interested in watching our faith get defeated by trials.
神は私たちの信仰が試練に打ち負かされるのを見ることを望んではおられません。
Do you know that the word, testing in verse 3 comes from the Greek word, dokimos, which means approval? It’s a word found on the undersides of many ancient pieces of pottery discovered by archeologists in Palestine. This mark meant that the pottery had gone through the furnace without cracking; it had been approved. It passed the quality assurance test.
3節のためされるという言葉がギリシャ語のドキモスという言葉から来ていることを知っていますか?パレスチナの考古学者が発見した多くの古代の陶器の裏側に記されている言葉です。このマークは、陶器が割れることなく炉の工程を終えたことを意味しました。承認されたと言う意味でした。陶器が品質保証テストに合格したという意味でした。
God’s desire is to help the clay vessels (us), created in His image to mature in the furnace of trials without a crack. Enduring those tests is what brings about maturity that is God’s ultimate purpose for our lives – “that you may be mature and complete, not lacking anything” (v.4).
Another crucial question needs to be asked.
神の願いは、神のイメージによって作られた粘土の器、つまり「私たち」が割れ目なく、試練という炉で形成されるのを助けることなのです。これらの試練というテストに耐えることは、私たちの人生において、神の究極の目的である「完全なる成長」をもたらします。すなわち、「なんら欠点のない、完全な、でき上がった人」(4節)となるのです。
そして、 次の重要な質問を考える必要があります。
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How can we face our trials? – vv.2-4, 9-11
どうすれば試練に立ち向かうことができるのか? – 2-4、9-11節
Dr. Viktor Frankl, a psychiatrist and a former prisoner in the Nazi concertation camps said: “Everything can be taken from a man but one thing: the last of human freedoms – to choose one’s attitude in any given set of circumstances, to choose one’s way.”
ナチスの強制収容所の元囚人だった精神科医のビクトル・フランクル博士は、次のように述べています。「人間からすべてのものを取り上げることはできるが、ただひとつ、人間の最後の自由がある。その最後の自由とは、たとえどのような状況の中でも、その人がどのような態度をとるかを選択することである。」
Trials can take away everything except our attitude toward them. Let’s now consider three (3) elements that form the attitude God wants us to choose when we face a trial.
試練は、人々の姿勢や態度以外のすべてを奪うと言えるでしょう。ここで、試練に直面したときに神が私たちに選んで欲しい態度を3つ考えてみましょう。
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Consider it pure joy – v.2
むしろ非常に喜ばしいことと思う-2節
The word consider (v.2) in Hebrew literally means “to lead the way”; it’s the idea of going ahead of something else. Here it is linked together with the attitude of joy. The believer’s mindset, going into trial, is to be positive.
この2節に書かれているヘブライ語の「考慮する」という言葉は、文字通り「道を導く」ことを意味します。それは何か他のものに繋がっているという考えです。ここでは、喜びの態度と結びついています。信者の心構えは、試練にあっても、前向きになることです。
Well, James is not advocating that Christians should deny the pain and sorrow they feel in the midst of a trial. He doesn’t say that trial is all joy; rather, he urges his readers to consider it pure joy, that is to look at it from the bright side, it has the potential of being turned to our highest good.
ヤコブは、クリスチャンが試練の最中に感じる痛みや悲しみを否定すべきだと主張しているわけではありません。彼は試練がすべての喜びだとは言っていません。むしろ、彼は私たちに試練を純粋な喜びと考えるように促します。つまり、試練にあったら前向きに捉えて欲しいと言っているのです。
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Consider its outcome: perseverance – v.3
結果を考える:忍耐力が生まれる– 3節
How can a believer be joyful, positive, and confident in the midst of a trial? Verse 3 says, “because you know” that tests are designed by God for good, not evil. We know that they have a purpose and that we aren’t simply victims of circumstance. The heat of furnace is not designed to make us crack, but to firm up and strengthen His character in us.
信者はどのようにして、試練の中でも喜び、前向きで、自信を持つことができるでしょうか。第3節は、「あなたがたの知っているとおり」、試練は神によって「悪ではなく善のため」に作られていると言います。試練には目的があり、私たちは単に悪い状況に陥った犠牲者ではありません。炉の熱は、私たちにひびを入れるように設計されているのではなく、私たちの中にある神のような性格を強くし、強化するために設計されているのです。
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Cooperate – v.4
共に働く– 4 節
A small word yet a key term is found in verse 4, “LET.” In short, it means, “to cooperate.” Give in to the testing. Allow it to do its job in your life. Participate in the lessons the trial brings to teach you. James expounds on it in verses 9-11.
小さな言葉でありながら重要な用語は、4節の「働かせる」という言葉にあります。要するに、「協力する」というような意味です。試練に身を任せるのです。あなたの人生で試練にその仕事をさせるのです。試練があなたに教えようとしていることに共に働いてみてください。ヤコブは9-11節でそれについて詳しく述べています。
Both the brother who has nothing and the rich man with everything are enjoined to do the same thing: Let the test go on, regardless of your circumstances. Don’t cut short the process that will bring about maturity.
ここでは、何も持たない人も、すべてを備えた金持ちの人も、二人とも同じことをするようにと命じられています。あなたの状況には関係なく試練を受けよと言っています。人間としての成熟をもたらしてくれる試練という過程を早く終えてしまおうと思わないでください。
Conclusion
Someone described his life while going through trials. He said, “My life is but a weaving between my Lord and me. I cannot choose the colors He worketh steadily. Oft times He weaves sorrow and I in foolish pride forget He sees the upper and I the underside. Not till the loom is silent and the shuttle ceases to fly shall God unroll the canvas and explain the reason why.”
誰かが試練を経験している間の人生とは、どんなものであるかを説明てくれました。「私の人生は、私の主と私の間を織り成してくれた織物のようです。私には、神がとりなす色を選ぶことはできません。しばしば神は悲しみを織ります。私は愚かな誇りを持ってしまい、神は上の方を見ておられるのに、私は下ばかり見ていることを忘れてしまいます。織機が静かになり、シャトルが動くのをやめるまで、神はキャンバスを広げておられますが、その理由は説明されません。」
Perhaps the only bruise that never heals is the loss of hope – the loss of confidence that adversities are purposeful, not random, meaningless cruelties. Nietzsche said, “He who has a WHY to live can bear with almost any HOW.”
人生において癒されることのない唯一の傷は、おそらく希望をなくすことでしょう。逆境は、無差別に起こるのではない。試練は意味のない残虐な行為はない。試練には意味があるのだという希望をなくすことです。ニーチェは、「生きる理由を持っている人は、ほとんどどんなことでも耐えることができます。」と言いました。
James has given us the WHY about our trials and now we can do more than just bear them; we can actually choose to GROW through them.
ヤコブは私たちに試練についての理由を教えてくれました。ですから、これからは、試練を通して私たちは実際に成長することができるでしょう。
Let us pray.