8 April, 2018
I’d like to begin this morning by paraphrasing a quote from novelist Philip Roth:
今朝は、小説家フィリップ・ロスの言葉を引用してお話を始めたいと思います。
And this often does seem to be the problem, doesn’t it? Other people. Sometimes life would be so much easier and more enjoyable if it weren’t for other people coming in and making life difficult for us, whether through mere ineptitude, grating personality or pure sin.
そして、よく他の人のことが私たちの悩みとなることがあると思われますが、どうでしょうか?他の人たち。気が合わない。イラつかせる性格。単に罪人。そんな人々が現れて私たちの人生を困難にしなかったら、人生はずっと気楽で楽しいものになるでしょう。
So the question stands: ‘What are we to do with this problem of other people?’
Let’s have a quiz
ですから、ここで「他の人が問題の場合どうしたらいいのでしょうか?」というクイズをしましょう。
- Just ignore them and hope they’ll go away
無視して消えてなくなることを願う - Let other people deal with them
他の人に任す - Deal with them very frankly, to the point of rudeness if necessary
必要であれば失礼であっても率直に対処する - Resign ourselves to the fact that we will probably have to act Biblically towards them
聖書に基づいて行動しなければならないことを受け入れる
You can figure this answer out for yourself through our Bible reading for today: Acts 10:34-43
今日の聖書の箇所を読めば、この答えがわかります。:使徒行伝10:34-43
I’d like to draw four points out of this passage.
私はこの聖書の箇所から次の4句を読み上げたいと思います。
- God does not show favouritism.
神はえこひいきをしません。
In our mid-week Bible studies, we were asked the question (based on Romans 11) whether God favours the Jews over other people.
毎週やっている聖書研究会の集まりで、ローマ人への手紙11章に基づいて、神は、他の人よりもユダヤ人のことを大切にしているかどうかという質問がを尋ねられる機会がありました。
The Jews were God’s chosen people to bring His light into the world, but John 3:16 makes it clear that God loves all people equally, and today’s passage makes it clear that He shows no favouritism in calling them His children.
ユダヤ人は神の光を世界にもたらすために神に選ばれた人々でしたが、ヨハネ3章16節では神がすべての人々を平等に愛していることを明記しています。
Our church is a glowing example of that. Regardless of skin colour, hair style, language background, gender, level of education, personality type, age or weight, God accepts people from every nation.
私たちの教会はその輝かしい例です。肌の色、髪のスタイル、言語の背景、性別、教育の水準、性格の違い、年齢、体重などにかかわらず、神は各国の人々を受け入れます。
Be warned though. There is a caveat here. It says,
しかしきをつけてください。ここに警告があります。その警告とは、次のように書かれています。
God does not show favouritism in his provision of salvation but we must respond to that provision on His terms, not our own and certainly not those of the world. We must respond to the gospel with humility, and with a genuine fear and love for God.
神が与えてくださる救いには偏見やえこひいきはありませんが、私たちは神の救いの条件に答えなければなりません。それは、私たちが自分自身で作ったものではなく、ましてやこの世の人々が作った条件でもない神の救いの条件です。私たちは謙虚で、また真の神に対する恐れと愛をもって、福音に答えなければならないという条件です。
(神が与えてくださる救いにはえこひいきはありませんが、神の条件どおりの救いに応えなければなりません。)
- Jesus’ life is worth talking about
イエスの人生は語る価値がある
We carry in our simple souls some very good news – the Bible calls it “treasures in jars of clay”. We have a knowledge of the life of Jesus, revealed to us through two testimonies.
わたしたちは心の中に福音を持っています – 聖書の中では、私たちが「福音という宝を土の器の中に持っている」と言い、「土の器の中の宝」と呼んでいます。私たちは、「イエスの人生」という「知識」を持っています。次のような2つの証言を通じて、私たちに示されていることがわかります。
The first (today) is Peter’s testimony here. The second is the testimony of the Holy Spirit in our hearts. So we can know how Jesus
今日は最初の証言で、ペテロの証です。第二は、私たちの心の中の聖霊の証についてです。
The Easter message is that Jesus is still alive, He is still anointed and anointing with the Holy Spirit and power, and He is still doing good and healing all who are under the power of the devil.
復活祭のメッセージは、イエスは今も生きておられ、聖霊とその働きにまだ力を注いでおられること、そして悪魔の力の元にいるすべての人を癒していることです。
This is worth talking about. It’s also worth living out in faith.
このことは話伝えられることに値しますし、信仰を持って生きることは価値のあることです。
(イエスは今も生きておられ、聖霊と力を注がれて、今でもよい働きをし、悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしています。)
- Jesus’ death and resurrection were real.
イエスの死と復活は実際に起こりました。
We’ve heard this many times before and it was the main thrust of last week’s message, but here we have the powerful eyewitness testimony of Peter who believed and carried this truth throughout his life to his death (as did Paul and all the other apostles through their lives and to their deaths).
私たちは以前これを何度も聞いてきましたし、先週のメッセージの主な焦点でした。
ここに、パウロと他の使徒たちの人生を通して、そして使徒たちの死についての証言、イエスが死に至るまで真理を信じていたペテロの証言があります。
They lived and died with the message of Jesus’ death and resurrection because they witnessed it first hand and they knew it was true. They walked with Jesus, they witnessed the crucifixion, they saw the empty tomb, they “ate and drank with him after he rose from the dead”. You just can’t challenge this kind of testimony. Jesus’ death and resurrection were real, and they change everything.
彼らはイエスの死と復活を糧にして生きていました。彼らはそれを最初に目の当たりにし、それが本当であることを知っていたからです。彼らはイエスと共に歩き、十字架でのイエスの死を目撃し、空っぽの墓を見て、イエスが死から復活した後に、イエスと共に食べ、共に飲みました。あなたはこのような証言に反論することができるでしょうか。イエスの死と復活は真実であり、それらの事実はすべてを変えます。
使途たちはイエスといっしょに歩き、十字架上の死を目撃し、空っぽの墓を見て、イエスが死者の中からよみがえられて後、いっしょに食事をしました。
- Jesus is our judge.
イエスは私たちを裁かれるお方であられる。
This point is often neglected when it comes to sharing the gospel with people.
この点は、人々と福音を分かち合うということに関しては、しばしば無視されがちなポイントです。
If you’re like me, it’s not too hard to share with people events at church like Easter and VBS. At the right time, and with the right people, we can also tell them about the love of God, and how Jesus lived a perfect life, died for their sins and offers new life through His resurrection. But there’s actually more to the gospel.
あなたが私のような人なら、復活祭やVBSのような教会でのイベントを人々と分かち合うのは難しいことではないでしょう。神の愛と、イエスが完全な人生をどのようにして生きて、私たちの罪のために死んだのか、そして彼の復活を通して新しい人生を得る方法についても、人々に、適切適宜伝えることができます。しかし、それだけではなく実際には他にもっと福音があります。
There remains judgement for unbelievers. This is why Peter says here that
神を信じない人々がどのようにその事実を見ているのか、どのように判断しているのかを考えなくてはなりません。そのことを、ペテロが次のように言っています。
The good news isn’t just good news of a better life. It’s good news of life as opposed to death. It’s good news of salvation from sin and death, just as it’s good news of salvation unto life.
(良い知らせはより良い人生の良い知らせだけではありません。死とは対照的な命の良い知らせなのです。)
福音はより良い人生のための良い知らせというだけではありません。「死とは対照的な命」のための良い知らせ、福音なのです。
私たちの人生の救いの朗報であるように、罪と死からの救いの福音です。
Jesus is our judge and Peter concludes his talk in Acts 10 by saying that
イエスは私たちを審判される方であり、ペテロは使徒行伝10章で次のように結論を出しています。
So, what are we to do with this problem of other people?
だから、他の人たちと起こっている問題をどうしたらいいのでしょうか?
We tell them about Jesus.
他の人に、イエスのことを教えてあげればいいのです。
We don’t ignore them. We don’t leave [them] it for someone else to do. We don’t tell them frankly to the point of rudeness how they are bothering us. We tell them about Jesus.
他の人の問題を無視せず、他の誰かが解決するまで放ったらかしにもしません。私たちが、その人々によってどのように悩まされているのか失礼なことを正直に話す必要もありません。その人々にイエスについて話しましょう。
At the right time and with a loving spirit, we tell them that God shows no favouritism. We tell them about Jesus’ life. We tell them about Jesus’ death and resurrection. And we tell them that this risen Jesus has been appointed judge of the living and the dead.
(イエスについて語ります。彼らを無視する 任せる 迷惑だと言う
神はえこひいきをしません。イエスの人生 イエスの死と復活
このよみがえったイエスは生者と死者との審判者として定められたのです。)
私たちは、時を見計らって、愛情を持って、神にえこひいきや、偏見がないことを伝えましょう。イエスの人生について教えてあげてください。イエスの死と復活について教えてあげてください。そして、私たちは、この復活したイエスが生きる者と死にゆく者の審判であると彼らに伝えましょう。
(Regarding this problem of other people, by the way, I want to assure that you I’m not raising this because I’ve had a bad week. On the contrary, I’ve had a really lovely week, thank you very much. But the reality remains that from time to time we all have to deal with the problem of other people.)
ちなみに、他の人々の問題ということに関しては、私が、個人的に悪い一週間だったので話のトピックとして取り上げたのではないことをわかってもらいたいと思います。逆に、おかげさまで、本当に素敵な一週間を過ごすことができました。しかし、現実には、私たちは時々、他の人の問題に対処しなければならない、他の人の問題に向き合わなければならないということがあります。
We need to remember that hurt people hurt. If people are being mean, rude, selfish, unforgiving, difficult or hateful, it probably means they’ve been through some really bad stuff, that someone has treated them the same way, and they are wounded people. They need to see the love of God and they need to hear the gospel message.
傷ついた人々は他の人をもっと傷つけるということを覚えておく必要があります。人々が意地悪で、無礼で、利己的で、容赦のない、難しい、または人を憎み憎悪している場合、おそらく彼らが本当に悪い経験をしたことを意味しているのでしょう。誰かに同じように扱われ、ひどく傷ついた人々なのでしょう。そのような人々は神の愛を見る必要があり、彼らは福音のメッセージを聞く必要があります。
The answer to meanness, rudeness, selfishness, unforgiveness or hatred is always love. God has revealed and demonstrated His love to us so that we can enjoy it for ourselves, and so we can reveal and demonstrate it to others.
卑劣さ、怠惰、利己主義、他人を赦せない、または憎しみに対する答えは、常に「愛」です。神は、私たちが自分自身のために「愛」を楽しむことができるように私たちに彼の「愛」を明らかにしてくださり、愛を実証してくれているので、私たちは愛をはっきりと他人にもあらわすことができます。
(意地悪、無礼、自己中心、赦せないこと、憎しみへの答えは、いつも愛です。)
Do you know what happened next (in the passage)? Do you know what happened after Peter shared this message with those who were listening?
次に何が起こるか知っていますか?ペテロがこのメッセージを聞いていた人たちと分かち合った後に何が起こったのか知っていますか?
It says
Let’s share the whole gospel in word and deed with those around us, whether they’re delightful people or problem people, and pray that the Holy Spirit will come upon all who hear the message.
楽しい人でも問題を起こす人でも、私たちの周りの人たちと言葉や行動で福音を分かち合い、メッセージを聞くすべての人に聖霊が訪れるように祈ってください。
メッセージを聞くみんなの人たちに聖霊がくだるように祈りましょう。
Pray.