キリストに出会う前は、何気ない毎日を送っていたと思います。幸せな”日常”です。朝起きて、ご飯食べて、仕事して、友達と会って、寝て…良い人ばかりに囲まれて何気ない毎日を過ごしていました。その何気ない幸せな毎日も神さまがくれた賜物だとは知らずに…。
実は、キリスト教に出会うきっかけは、私が幼少のころから遡ります。
幼い頃、私は聖書を読む機会がなんどもありました。好きな言葉は、”探せば、さらば求められん” 少し渋いですね。子供向けの教会のイベントに何度か友達と一緒に行くなど、キリスト教に触れる機会は子供のころに何度もありました。しかし、熱心な仏教徒の母は、私がキリスト教の話をするたび[それはダメ!]と話します。
なので、素直な子供の頃の私は、その忠告を受け、それ以上深入りをしませんでした。
それが最近になって、このような形で教会に来ることになったのは、大切な人の存在がありました。彼は私の彼氏だった人で、これは誰にも話していませんが、彼は今はもう存在していません。
最後に、彼と会った時に、話をする機会があったのに、そこで大げんかをしてしまいました。
その後悔に苛まれていたところ、この教会を知りました。
私の好きな聖書の箇所に(伝道者の書3:11)があります。
“神のなさることは、すべて時にかなって美しい。”
神さまは昔から、私の心にノックをしてくれていて、私に扉を開けるチャンスを与えてくれていたのでしょう…
聖書を読むほどに、その一節、一節の教えに感動しました。
“探せば、さらば求められん”
私の探していたものが見つかった。そう思いました。
キリスト教に出会ってから、私の日常に神さまに祈る 時間が増えました。今与えられているものはすべて神さまからの祝福であり、課題であり…私の人生にとって必要なものを与えてくれていると、そう思うようになりました。
すると、毎日の何気ない日常1日1日を大切に丁寧に過ごす。
その大切さに気づきました。
この教えに気づかせてくれた、みなさんに感謝します。
いつもあたたかい恵みや教え、そして私をいつも見守ってくださる神さまに感謝します。アーメン。